自分という存在は一体何?
自分って、一体何のために生まれて来たんだろう?そして、自分って、一体誰のために生まれて来たんだろう?
そんなことを考えるときがある。
自分の存在というか、自分の存在価値というか、そんなのがわからなくなるときがある。
自分という存在が、自分でもよくわからなくなるということ。
誰にも必要とされてない自分
人は、誰かに必要とされて生まれて来るというけど、じゃあ、自分は一体誰に必要とされているんだ?
例えば、仕事なんかは、自分がいなくなっても勝手に回る。だから、自分は、仕事で必要とされている存在ではない。
そして、数少ない友達だって、自分がいなくなっても、そのときには悲しんでくれるんだろうけど、それはその場限りのことで、トキの経過と共に忘れられる存在
結局、誰にも必要とされてないってことなんだよな。
自分という存在とは?
これで、奥さんがいたり子供がいたりすれば、このために自分は生まれて来たんだ!こいつらを食わせるために自分は生まれれて来たんだ!と、思えるんだろうけど、悲しいかな自分にはそんな存在はいない。
じゃあ、自分は、一体誰に必要とされて生まれて来たんだ?誰にも必要とされてないのに生まれて来たって、一体何なんだ?と考える。
それとも、毎日ブログを書いて「俺はダメ人間だ!」と、連呼してウジウジするために生まれて来たのか?そんなことはないはず。
でも、必要とされたらされたで、今度は、めんどくせとか思ってしまうんだろうな?ただ、誰からも必要とされてないってのも、何だか悲しい気もする。
まあどうでもいいや!
だから、そんなことはどうでもいいことで「どうでもいいや!」というのが、自分の中での最終的な結論なんだけどね。
俺の人生なんて、適当に働いて、適当に好きなもん食って、適当に好きなことをして、そして最後は、適当なときに痛い思いしないでコロっと死ねれば、それでいいや。
無駄にいろいろなことを考えるから、返って悩むことになる。
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